群雄割拠5

董卓は確かに暴虐の限りを尽くした。 しかし意外なことに宦官に追放されていた名士の登用には熱心であった。 そして実力のあるものの登用にも力を入れている。 曹操や孫堅に懐柔の手を差し伸べたのは彼らの能力を見込んだからだろう。 名士の登用に励むのは…

群雄割拠4

お次は袁紹が荊州牧に劉表を任命する。 そうはさせじと袁術は孫堅を荊州に送り込む。劉表との交戦中、孫堅は命を落とすこととなる。 孫堅軍団はひたすら袁術の便利な駒であったわけだが、まあ一部将であったということで間違いは無い。 息子の孫策も袁術の庇…

群雄割拠3

董卓が長安へ、つまり西域へ向かって遷都をおこなうと、連合軍内部でも揉め事が起こる。 もともと真面目に戦う気のない諸侯が集まってた寄り合い所帯だったので、誰も自らの兵力が減らされたくはないもので、中には本当に連合軍内部で抜刀して諸侯が諸侯を刺…

群雄割拠2

孫堅の快進撃をよそに、董卓は洛陽を捨てて西の長安への遷都を強行する。 この背景には西域が基盤の董卓としては、より西に根拠を構えた方が有利であるという、地政学的条件による。 洛陽は焼き払い、富裕層からは財産を没収し、高貴な墓からも埋葬品を略奪…

群雄割拠1

袁紹を盟主とした反董卓連合軍が発足。 とは言えどうも誰も本気で戦う気が無かった模様。 簡単に経過を綴ってみます。 董卓軍最強の猛将「徐栄」。 彼が一番手柄かと思うのだが、まずは曹操と交戦して散々に打ちのめす。 曹操はこの敗北によってそのほとんど…

覇王・董卓8

金吾軍を手に入れたとはいえ、まだまだ兵力は不足していたようで、ここで小細工を弄した。 洛陽に入っている揮下3000の兵を夜半密かに洛陽を脱出させ、あくる日に西側の門から入場させるというものであった。 董卓の勢力は西域が中心だったので、その西域か…

覇王・董卓7

皇帝を手中にした董卓だったが、彼には弱みがあった。 管轄区であった涼州から首都洛陽へは兎に角すぐに連れて行ける兵しか伴ってこなかったので、兵力があまりにも少ないということであった。日本人にはあまり馴染みが無いことかもしれないが、国家というも…

覇王・董卓6

都、洛陽では宦官の陰謀により大将軍何進と弟の何苗が暗殺された。 何進の腹心でもあった袁紹がこれに反発して宦官を一斉に排除するため、後宮に軍勢とともになだれ込んだ。 宦官は髭が生えない。 ここで奇妙な出来事が起こったと言う。 後宮にいる正常な男…

覇王・董卓5

この命をうけて上洛してきた諸侯の中に董卓がいた。 彼はもともとからして西域出身で、漢の外で暴れまわっている羌族という異民族とも交流があったようである。 その彼が都での騒乱に便乗して天下を手中に収めんと洛陽に向かって出発した。 ……天下を取るため…

覇王・董卓4

朝廷内部での権力闘争が火を噴いた。 事情はかなりややこしいのだが、時の皇帝である霊帝が崩御したことにより勃発する。宦官派と外戚派の衝突である。 この両者は後漢が始まってからというもの、常に争い続けていたので特に珍しい闘争ではなかった。 しかし…

覇王・董卓3

さて、何もしない董卓に代わって朝廷から派遣されてきた将軍が張温であった。 彼は金で官位を買ったらしい。 そもそも漢上層部の腐敗によって地位は買収するものとなっていたので、別に彼が特別悪者であったわけではない。 しかし、賄賂で地位を手に入れた彼…

覇王・董卓2

韓遂討伐を賜った董卓の取った戦術は……なんと黄巾討伐のときと同じく「何もしない」であった。 このあたり、董卓は無能であるとか何とか言われる所以なのだが、後に皇帝を擁立して政治を思うままに動かすような豪腕振りからすると、「何もしない」というのが…

覇王・董卓1

皇甫嵩、朱儁の活躍で黄巾の乱が終結……となったわけだが、実はこの終結という言葉には語弊もある。 壊滅したのは黄巾軍の主力2部隊であって、すべての黄巾族が討伐されたわけではないということだ。 全国一斉蜂起をした中で主力2部隊は首都洛陽を攻め落と…

黄巾の乱5

宛城攻略に当たり朱儁軍は2万、黄巾軍10万という図式となっており、黄巾軍は篭城。 これを攻め落とすのは容易にはいかない。 何しろ自軍の5倍の人数で篭城しているわけだ。ここで朱儁は補給線を断つことによる長期戦を展開する。 しかしまたしても宦官の陰謀…

黄巾の乱4

続いて盧植が向かった冀州方面だが、こちらは盧植の連戦連勝で進んでいき、広宗という名の城に追い詰めた。 ここで一気に攻め落とすはずだったが、ストップがかかる。官軍3将軍が出撃する少し前の話だが、皇甫嵩は「党錮の禁」を解除することに成功していた…

黄巾の乱3

さて、朝廷も討伐軍を派遣することとなった。 冀州と豫州の黄巾軍が主力ということで、この二方面に出動。 冀州方面には盧植を、豫州方面には皇甫嵩、朱儁の2将を送り込んだ。 兵力は黄巾軍よりも遥かに少ないとのことで、4万前後と推測されている。 黄巾軍…

黄巾の乱2

張角は志半ばで病死してしまう。 彼はお札とか聖水などを使用して病気を治したり、数々の奇蹟を起こしたとも言われているが、私はここで一つ思う。 病死でなく、死刑にされていたら、当時の宗教観が見れたかもしれないなと。 そうです、数々の奇蹟と聞けばイ…

黄巾の乱1

張角を棟梁とする農民反乱で、黄色をシンボルカラーとしていたことから黄巾の乱といわれるが、どのようなものだったのだろうか。黄巾党は意外と組織化されており、指揮命令系統がしっかりしていたようである。 さすがに軍事訓練を重ねて精鋭化はされてはいな…

三国志10

後漢も時代が進むにつれて「外戚」「宦官」が台頭してくるようになる。 「外戚」は皇帝の母の一族のことで、皇帝が幼い場合に代わって政権を運営する。 やがて皇帝が成長すると、外戚から政権を取り戻そうとするのだが、そのときに活躍するのが「宦官」であ…

三国志9

劉秀こと光武帝は皇帝による直接支配を強化するために儒教と厚く推進した。 光武帝以前の前漢や秦の時代では「法治」と言い、官僚が法律を厳しく適用して豪族を弾圧する形をとっていた。 まさに「法」による統治である。 これでは豪族側からの反発は絶えない…

三国志8

秦の始皇帝以降、皇帝が直接農民を支配する制度を敷いた。 全ての権力は皇帝のもので、郡県制とも言う。 郡県制とは、地方長官のようなものだが、「太守」「県令」と言い、彼らの直接の上司は皇帝という形だ。 しかし、農村の現場では、大土地所有者が、小作…

三国志7

突然ですが、1/30に新アルバム「デュエット」が発売されるということで、前祝に「上原ひろみ」の「XYZ」をご紹介。 ロックバンド「ドリームシアター」の後輩にて大ファンと言う彼女の作り出すメロディーは実に情熱的。 この曲をTUTAYAで視聴して、速攻借りた…

三国志6

歴史を愉しむにはその時代の背景と宗教を知っておく必要がある。 中国では孔子以来、儒教が官僚上層部を中心に広まっていた。 儒教とは何だろう? これはもはや宗教である。 孔子は、「子曰く、怪力乱神を語らず(超常現象のようなものは問題にしない)」と…

三国志5

名士は後に貴族となっていく事となる。 曹操の息子で魏の初代皇帝曹丕が「九品中制度」を施行したことによる。 これは何かと言うと、官僚の子は官僚となり、どこまで出世できるかをあらかじめ決めておくものである。 このような既得権を持ってしまうと、競争…

三国志4

「名士」という言葉は、当時には無い。 ないので、彼らを指す言葉が無い。 それでは大変不便なので「名士」という単語を使おうと思う。 「名士」は三国志を愉しむ上では避けては通れない知識である。 「三国志演義」では英雄・豪傑が縦横無尽に活躍している…

三国志3

後漢時代の中央官制は「司空(土木)」「司徒(内政)」「太尉(軍事)」の三公が最高官で、それに次ぐのが「太常(帝室の儀礼)」「光禄勲(近衛)」「衛尉(皇宮警護)」「太僕(車馬の管理)」「廷尉(司法)」「大鴻臚(外交)」「宗正(帝室の事務)」…

三国志2

三国志を読んでいて、熱くなるのはやはり戦争ではないだろうか? 戦争の主役と言えば、将軍。 そこで将軍についてのご紹介。軍事制度においては「将軍」が兵を指揮するが、その他にも「中郎将」「騎都尉」なども軍隊を指揮する権限を持ってはいる。 これらよ…

三国志1

三国志。 2でも4でもなく3。 3世紀の中国で魏・呉・蜀の3国が台頭した時代があった。 通称、その時代を三国志という。「三国志演義」は明の時代に書かれた小説、書かれたというのは正確ではないが、小説というのは正しいかと思う。 そして晋の時代に編纂され…

サロメの乳母の話12 塩野七生

サロメの乳母の話 (新潮文庫)作者: 塩野七生出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2003/03/28メディア: 文庫 クリック: 21回この商品を含むブログ (26件) を見る 第12話 「饗宴 地獄篇 第2夜」 ついに最終話。 前話の登場人物が、日本の悪女について議論を交わす…

サロメの乳母の話11 塩野七生

サロメの乳母の話 (新潮文庫)作者: 塩野七生出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2003/03/28メディア: 文庫 クリック: 21回この商品を含むブログ (26件) を見る 第11話 「饗宴・地獄篇 第一夜」 ある秋の夕べ、ここ地獄ではしばしば催される宴が、その夜も盛大に…