三国志2

三国志を読んでいて、熱くなるのはやはり戦争ではないだろうか?
戦争の主役と言えば、将軍。
そこで将軍についてのご紹介。

軍事制度においては「将軍」が兵を指揮するが、その他にも「中郎将」「騎都尉」なども軍隊を指揮する権限を持ってはいる。
これらよりもたくさんの軍隊を指揮したりできるのが「〜将軍」。

武官の最高位は「大将軍」。
しばしば政権の最高責任者が大将軍をかねることにより、権力を集約する手段ともなる。

その下位にくるのが驃騎将軍・車騎将軍・衛将軍の3将でこれらは伝統的な将軍号で、中央官制でいう三公(大尉・司徒・司空)と同位。

さらにその下には撫軍将軍があり、これは君主に代わって遠征軍を率いたりできる。
魏においては司馬氏が代々任命されている。
同位に非常設で中軍大将軍、鎮軍大将軍などもある。

そして、よく耳にする四征将軍。
征東・征西・征南・征北将軍で、中国が東西南北の非漢民族と戦う際に派遣した方面軍司令官。

次が四鎮将軍で鎮東・鎮西・鎮南・鎮北将軍。
四征将軍より格下だが、方面軍司令官となることもあった。


ここまでの将軍は使持節という資格を持ち、軍の規律を犯した者を死刑にしたり、方面地域の裁量権を認められていた。
通常、このような裁量権は皇帝のみが持っているものなので、いちいち皇帝の許可を取らなければならなかった。
その意味では、かなりの権限を与えられているということになる。


これら以外の将軍は雑号将軍と総称され、直属軍のみの指揮権を持ち、司令官に所属して戦うことになる。


ちなみに中国から律令制度を輸入した日本において、方面軍司令官の呼称は「従四位征夷大将軍」である。
初代は大伴弟麻呂
この地位を得る事によって、幕府を開く事ができる……と言うのは順序が逆で、幕府とは、天皇にしかおこなえない裁量権を行使するために、臨時に幕舎をはり、ここで権限の行使をおこなったのである。
作物の徴収とか、捕らえた敵将を打ち首にするとか、防衛上必要なので砦を作るとか。
律令制度においては全ての判断は天皇がおこなうわけだが、それでは遠征中の将軍は小さな事柄でもいちいちお伺いを立てなければならない。それでは不便だ。


征夷大将軍は自らの判断で、ある程度の裁量をおこなえるわけだが、これを実際の政治にまで染めていったのが源頼朝なのである。
具体的には守護や地頭といった、地方警察官(軍)の任命権や徴税権を勝ち取ったわけで、征夷大将軍の権限に、プラスアルファしていくことにより、気がついたら日本を統治する権利になっていた、というものである。
これが幕府の実態であり、このようにして朝廷から権利を委譲させていった頼朝は真にリアルな名政治家ではないだろうか。