群雄割拠2

孫堅の快進撃をよそに、董卓は洛陽を捨てて西の長安への遷都を強行する。
この背景には西域が基盤の董卓としては、より西に根拠を構えた方が有利であるという、地政学的条件による。
洛陽は焼き払い、富裕層からは財産を没収し、高貴な墓からも埋葬品を略奪するという、まさに極悪非道を絵に描いたような行為であった。


そして、この何も残っていない首都洛陽に連合軍で最初に入洛したのが孫堅であった。
彼はそこで陵墓の復旧を迅速におこない、漢への忠誠を世間に示したのである。

この時代はまだ漢の威光は衰えつつも存在していたので、このように忠義を示す行動には賞賛が集まる。
孫堅には名声が無く、軍事力だけでのし上がってきたという負い目があるので、今後の戦略も兼ねての行為であっただろうと思われる。
この陵墓修復は正に後々まで呉政権の支柱ともなっていく。
名声を得ることで多くの徳を手に入れることが出来るのは、いつの時代でも変わりがないことだと思う。