三国志6

歴史を愉しむにはその時代の背景と宗教を知っておく必要がある。
中国では孔子以来、儒教が官僚上層部を中心に広まっていた。
儒教とは何だろう?


これはもはや宗教である。
孔子は、「子曰く、怪力乱神を語らず(超常現象のようなものは問題にしない)」とあるが……

根拠を述べよう。
儒教を要約すると、

1 先祖崇拝
2 尚古主義
3 天人相関
4 徳治主義

がある。

先祖崇拝はそのままなのだが、例えばお父さん、私、息子の3人で暮らしていて、食べ物が全くなく、このままでは飢え死にしそうだとしよう。
儒教に基づけば、息子を殺してお父さんに捧げるのが「善」である。
親孝行の価値観は日本にもあるが、これは度が過ぎているというのが日本人の感想ではないだろうか。

ちなみに徐州で曹操に敗れた劉備が、袁紹を頼るために逃避行をしているときに、普段劉備を慕っていた農民が、自分の息子の肉を差し出すシーンが「三国志演義」にある。


尚古主義とは、孔子の時代は春秋戦国時代と言い、各国々が覇権を争っていた時代であるが、それより遥か昔は平和に中国が治まっていた。
その時代が正しいので、その時代に戻ろうとすることが「善」、という解釈。
時代は移り変わって行くものなのだが、偉人が自分の時代のフォーカスで含蓄のあることを述べると、後々の時代にまで影響を及ぼす。
「述べて作らず、信じて古(いにしえ)を好む」
この発想により、後代の中国でも保守が好まれるようになった。
日本の貴族が「前例がありません」と言って、新しいことを受け入れないのと全く同じ。


中国には「神」という存在は無い。代わりに「天」が存在する。
私などは「神」ではなく「天」であれば、偶像崇拝などという一神教思想が数々の偶像破壊を行わなくて済んだのではと思ってしまうが、ともかく「天」は絶対に目視できるものではない。
「天」は地上を支配しているのだが、「天」が地上の支配権を委任した人が「王」なり「皇帝」となるというシステムが天人相関で、ではどの人が地上を支配できるのかと言えば「徳」のある人で、徳治主義という考え方である。
中国の歴史においては「徳」は重要な要素となっている。
「仁徳」とか「不徳(政治家がよく、私の不徳といたすところ、などと言う)」という言葉は儒教なのである。


曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」で、水晶玉「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」があるが、この「仁」以外の徳目を修得した人が「仁」を得ることができる。
だから、「仁」の犬江親兵衛仁は最後に登場するわけで、名前も仁(まさし)なわけである。


これら4つの事象は、一つずつを取ってみると、そういう思想なのかなと思ってしまうが、これらが合わさると宗教となってしまうのである。
むしろ、こうでなければならない、と言う排他性が宗教であると物語っている。
何のことはない、イスラム教と対して差はないと思うがいかがでしょう。

では、宗教とは何なのか?
これを知ることにより、ようやく三国志に入ることができる。
ご承知の通り、三国志は「太平道」こと黄巾党の乱から始まる。