三国志10

後漢も時代が進むにつれて「外戚」「宦官」が台頭してくるようになる。
外戚」は皇帝の母の一族のことで、皇帝が幼い場合に代わって政権を運営する。
やがて皇帝が成長すると、外戚から政権を取り戻そうとするのだが、そのときに活躍するのが「宦官」であった。
宦官は後宮に仕える去勢された男子のことで、幼い頃に実の母親が息子を去勢して宮中に預けたもの。
皇帝は幼い頃から勉強、遊びを宦官とともにするので、親近感のある存在であった。
この「宦官」を頼りに、「外戚」勢力を排除しようとするわけだ。


外戚」「宦官」はたびたび権力争いをおこなう。
そこに、豪族出身の官僚が反発して、これまた豪族官僚対宦官というように争いを繰り広げるようになる。
外戚と宦官の争いは皇帝の親近感もあり、宦官が勝利することが多かったが、これに続き、官僚との抗争にも宦官が勝利することが多かった。


ここにおいて、「党錮の禁」が起こる。
豪族官僚を「党人」として国家から排除した事件である。
党人とは、簡単に訳すと「悪い者」とでもなるだろうか。


宦官主体となることにより、上層部の腐敗が進んでいくこととなる。
彼らを抑える勢力がなくなったからである。


党人は下野して郷里に帰るわけだが、ここで儒教的思想により名声を集めることを重視するようになった。
そして、なぜかは私もよく分からないのだが、この名声を高めるためにフィーバーしたのが「人物鑑定」であったようだ。
郭泰や許劭といった鑑定士が有名である。
彼らに鑑定されることにより、名声を高めることができ、高い評価を得ると「名士」の一員とされる。