覇王・董卓4

朝廷内部での権力闘争が火を噴いた。
事情はかなりややこしいのだが、時の皇帝である霊帝崩御したことにより勃発する。

宦官派と外戚派の衝突である。
この両者は後漢が始まってからというもの、常に争い続けていたので特に珍しい闘争ではなかった。
しかし時の大将軍何進は宦官を追い詰めるために各地方の牧や太守に上洛するように命じた。


このあたりを見ていて思うのだが、何進には直属兵が少なかったということなのだろうか?
普通に考えれば宦官を滅ぼすのに何もそこまですることは無いだろうと思ってしまう。

もしも何進に兵力が足りていなかったのだとすると、諸侯を呼び寄せてしまえば自分に取って代わられてしまう可能性が出てくる。
権威にひれ伏すのは名実があるからではなく、そのバックに実質的な軍事力ないしは神聖不可視なベールに覆われている必要がある。
神聖不可視なベールとは、神であったり皇帝であったり教皇であったり天皇であったり「居る」だけで効力を発揮するもののことだ。
それでも軍事力を持っていなければたちまち滅ぼされるケースもある。


国家の上層部が腐敗していると諸侯が見ているとすれば、権威は無いに等しく、また軍事力もなければ諸侯の行動に歯止めをかける要素がない。
皇帝の勅であれば話は変わるのだが、大将軍は臣下なのである。
臣下であるということは、「臣下」であると言う意味では平等なのである。


この命令を立案したのは袁紹であったとも言われている。
それほど宦官は強力な軍事力を手にしていたのだろうか?