2008-02-01から1ヶ月間の記事一覧

群雄割拠3

董卓が長安へ、つまり西域へ向かって遷都をおこなうと、連合軍内部でも揉め事が起こる。 もともと真面目に戦う気のない諸侯が集まってた寄り合い所帯だったので、誰も自らの兵力が減らされたくはないもので、中には本当に連合軍内部で抜刀して諸侯が諸侯を刺…

群雄割拠2

孫堅の快進撃をよそに、董卓は洛陽を捨てて西の長安への遷都を強行する。 この背景には西域が基盤の董卓としては、より西に根拠を構えた方が有利であるという、地政学的条件による。 洛陽は焼き払い、富裕層からは財産を没収し、高貴な墓からも埋葬品を略奪…

群雄割拠1

袁紹を盟主とした反董卓連合軍が発足。 とは言えどうも誰も本気で戦う気が無かった模様。 簡単に経過を綴ってみます。 董卓軍最強の猛将「徐栄」。 彼が一番手柄かと思うのだが、まずは曹操と交戦して散々に打ちのめす。 曹操はこの敗北によってそのほとんど…

覇王・董卓8

金吾軍を手に入れたとはいえ、まだまだ兵力は不足していたようで、ここで小細工を弄した。 洛陽に入っている揮下3000の兵を夜半密かに洛陽を脱出させ、あくる日に西側の門から入場させるというものであった。 董卓の勢力は西域が中心だったので、その西域か…

覇王・董卓7

皇帝を手中にした董卓だったが、彼には弱みがあった。 管轄区であった涼州から首都洛陽へは兎に角すぐに連れて行ける兵しか伴ってこなかったので、兵力があまりにも少ないということであった。日本人にはあまり馴染みが無いことかもしれないが、国家というも…

覇王・董卓6

都、洛陽では宦官の陰謀により大将軍何進と弟の何苗が暗殺された。 何進の腹心でもあった袁紹がこれに反発して宦官を一斉に排除するため、後宮に軍勢とともになだれ込んだ。 宦官は髭が生えない。 ここで奇妙な出来事が起こったと言う。 後宮にいる正常な男…

覇王・董卓5

この命をうけて上洛してきた諸侯の中に董卓がいた。 彼はもともとからして西域出身で、漢の外で暴れまわっている羌族という異民族とも交流があったようである。 その彼が都での騒乱に便乗して天下を手中に収めんと洛陽に向かって出発した。 ……天下を取るため…

覇王・董卓4

朝廷内部での権力闘争が火を噴いた。 事情はかなりややこしいのだが、時の皇帝である霊帝が崩御したことにより勃発する。宦官派と外戚派の衝突である。 この両者は後漢が始まってからというもの、常に争い続けていたので特に珍しい闘争ではなかった。 しかし…

覇王・董卓3

さて、何もしない董卓に代わって朝廷から派遣されてきた将軍が張温であった。 彼は金で官位を買ったらしい。 そもそも漢上層部の腐敗によって地位は買収するものとなっていたので、別に彼が特別悪者であったわけではない。 しかし、賄賂で地位を手に入れた彼…

覇王・董卓2

韓遂討伐を賜った董卓の取った戦術は……なんと黄巾討伐のときと同じく「何もしない」であった。 このあたり、董卓は無能であるとか何とか言われる所以なのだが、後に皇帝を擁立して政治を思うままに動かすような豪腕振りからすると、「何もしない」というのが…

覇王・董卓1

皇甫嵩、朱儁の活躍で黄巾の乱が終結……となったわけだが、実はこの終結という言葉には語弊もある。 壊滅したのは黄巾軍の主力2部隊であって、すべての黄巾族が討伐されたわけではないということだ。 全国一斉蜂起をした中で主力2部隊は首都洛陽を攻め落と…

黄巾の乱5

宛城攻略に当たり朱儁軍は2万、黄巾軍10万という図式となっており、黄巾軍は篭城。 これを攻め落とすのは容易にはいかない。 何しろ自軍の5倍の人数で篭城しているわけだ。ここで朱儁は補給線を断つことによる長期戦を展開する。 しかしまたしても宦官の陰謀…

黄巾の乱4

続いて盧植が向かった冀州方面だが、こちらは盧植の連戦連勝で進んでいき、広宗という名の城に追い詰めた。 ここで一気に攻め落とすはずだったが、ストップがかかる。官軍3将軍が出撃する少し前の話だが、皇甫嵩は「党錮の禁」を解除することに成功していた…

黄巾の乱3

さて、朝廷も討伐軍を派遣することとなった。 冀州と豫州の黄巾軍が主力ということで、この二方面に出動。 冀州方面には盧植を、豫州方面には皇甫嵩、朱儁の2将を送り込んだ。 兵力は黄巾軍よりも遥かに少ないとのことで、4万前後と推測されている。 黄巾軍…

黄巾の乱2

張角は志半ばで病死してしまう。 彼はお札とか聖水などを使用して病気を治したり、数々の奇蹟を起こしたとも言われているが、私はここで一つ思う。 病死でなく、死刑にされていたら、当時の宗教観が見れたかもしれないなと。 そうです、数々の奇蹟と聞けばイ…

黄巾の乱1

張角を棟梁とする農民反乱で、黄色をシンボルカラーとしていたことから黄巾の乱といわれるが、どのようなものだったのだろうか。黄巾党は意外と組織化されており、指揮命令系統がしっかりしていたようである。 さすがに軍事訓練を重ねて精鋭化はされてはいな…