覇王・董卓1

皇甫嵩朱儁の活躍で黄巾の乱終結……となったわけだが、実はこの終結という言葉には語弊もある。
壊滅したのは黄巾軍の主力2部隊であって、すべての黄巾族が討伐されたわけではないということだ。
全国一斉蜂起をした中で主力2部隊は首都洛陽を攻め落とすことを目的とした大規模な編成だったので、実質的にはこれを壊滅さたことで、乱が終結したことには違いないが、全国にはまだまだ黄巾族が跋扈していたということである。
今風に言うと黄巾テロがくすぶっているとでもなるだろうか。
後ほど大変重要な問題となるが、今は兎も角先に進みます。


黄巾の乱終結の前後に新たに反乱を起こしたモノもいた。
漢中の五斗米道・張衡が反乱を起こし、漢中の諸県を攻略。
そしてその後30年間に渡り朝廷に反旗を翻し続ける人類史上において最もタフな漢(おとこ)、韓遂涼州で登場する。


漢中は三国志演義でも語られている通り、天然の要塞であり、ここを攻略するには相当な出費と犠牲を払うことになるため、懐柔策をとることとなる。
しかし涼州反乱軍と漢中反乱軍が結びつく機運が漂うにあたり、曹操は漢中を攻略することとなるが、これはまた後ほど。


この韓遂涼州にて反乱を起こしたことにより、朝廷より討伐軍が派遣されることとなった。
その将軍が董卓である。