三国志5

名士は後に貴族となっていく事となる。
曹操の息子で魏の初代皇帝曹丕が「九品中制度」を施行したことによる。
これは何かと言うと、官僚の子は官僚となり、どこまで出世できるかをあらかじめ決めておくものである。


このような既得権を持ってしまうと、競争原理が働かなくなる。
そこそこに勉強して、そこそこ頑張っていれば安泰なので、これにより官僚の動脈硬化が起こる。
貴族の子で生まれれば貴族なのだから、努力もする必要がなくなる。


曹操は名士と徹底的に戦うことにより、名士(つまり後の貴族)の利権を崩し、実力本位の体勢を構築しようとしていた。
しかし、曹丕曹操の跡継ぎ候補の第一位(長子相続理論は儒教によるが)であることから幼少のころから名士(司馬懿陳羣)が情誼を結んできていた。
曹操曹丕が後を継ぐことになると名士が台頭してくることにより、君主主導の政治がおこなえなくなり、曹氏による国家の継続を危ぶんだのであろう。
そこで文才豊かな曹植にしようかと悩んだのだ。
ここも後で詳しく述べるが、曹操は「儒教」精神に基づく名士に対して、「文学」による秩序を形成することにより名士の影響力を排除しようとしていた。
まあ、別に文学でなくても儒教・名士に対抗する理論があれば良かったわけで、その精神が大平道や五斗米道に対しても寛大であった理由である。

曹操は、国家の意識改革まで断行しようとしていたと思われる。
つまり、「名士・儒教」体制から「実力本位・文学、宗教etc」へ。
曹操が詩を愛していたのは、このような理由による。


時代が進み、貴族制度の動脈硬化が激しくなったことにより、実力本位の「科挙」制度ができる。
確かに「科挙」となることにより、「既得権」が「取得権」となったので、競争原理が働くようになった。
しかし試験の内容は「儒教」の習得度を測るもののようだが……。


「既得権」は人間世界のある法則を物語ってくれる。
生まれながらにして持っているものに感謝の気持ちなど持たないし、意識することすら通常、ない。
日本では選挙権などはその一つだ。
年齢制限はあるにしろ、これは既得権である。
あるが故にこの権利の重みは分かりにくい。
もしこれを、「年収1000万以上の人に限る」「何かの試験に受かった人に限る」などとすればどうなるのだろう?
つい30〜50年前の国外では、民主主義を認めてもらいたくても認めてもらえないで苦しんだ人々が多数存在したのだ。
イラク東ティモール北朝鮮ソ連ビルマカンボジアベトナムラオス、東ヨーロッパの国々、果てはインド、パキスタンアフガニスタンでもそうであろう。


「取得権」は競争原理を生むし、公共心を養うのにも役立つ。
曹操の目指した国家は「取得権」国家である。
魏にも五虎大将軍がいたらしい。
張遼」「張コウ」「徐晃」「李典」「楽進」である。
彼らは名士でもなく、宗族(曹操の一族、曹氏と夏候氏)でもない。
実力でのし上がってきたのである。


なんだか話がどんどんそれて行くのでこの辺で。