サロメの乳母の話11 塩野七生

サロメの乳母の話 (新潮文庫)

サロメの乳母の話 (新潮文庫)


第11話 「饗宴・地獄篇 第一夜」


 ある秋の夕べ、ここ地獄ではしばしば催される宴が、その夜も盛大に開かれていた。
 ただ、その夜の宴がいつものそれとちがっていたのは、出席者たちが、今夜ばかりは女だけであったことである。
 エジプトの女王クレオパトラに、
 ビザンチン帝国の皇后テオドラ、
 トロイのヘレンと言えば誰もが知っている、スパルタの王妃へレナ
 世界史上で悪妻の番付けを作るとすれば、必ずや東の横綱になるに違いない、ソクラテス夫人のクサンチッペ、
 それに、フランス革命の花、いや、花と散ったと言うべきかもしれない、かのマリー・アントワネット
 そして、地獄新入りの江青女史を加えた六人が、その夜のお客さんたちだ。


という、くだりで始まる。
彼女たちが地獄で対面し、楽しくおしゃべりをするパロディ。


クレオパトラ〜 世界史小事典
前69〜前30(在位前51〜前30) エジプトのプトレマイオス朝の最後の女王。
正しくはクレオパトラ7世。マケドニア系の女性。
プトレマイオス・アウレテス(12世)の次女。
弟のプトレマイオス13世と結婚、共同統治者となったが、王位を追われ、前48年カエサルの愛人となり王位を回復した。
のちにアントニウスと結婚したが、アクティウムの海戦で敗れ、翌年自殺した。



アントニウス〜 世界史小事典
前83〜前30 古代ローマの将軍、政治家。
カエサルの部将として活躍したが、その死後オクタヴィアヌス元老院との勢力争いをへて、前43年末オクタヴィアヌスレピドゥスと第2回三頭政治を成立させた。
前42年フィリッピの戦いでブルータス、カシウスを破った。
レピドゥス失脚後はオクタヴィアヌスとの関係が悪化し、クレオパトラと結んだが、アクティウムの海戦に敗れ、翌年自殺した。



アウグストゥス〜 世界史小事典
前63〜後14(在位前27〜後14) 古代ローマの初代皇帝。母はカエサルの姪。カエサルの養子。
本名はガイウス・オクタヴィウス。カエサル暗殺後、オクタヴィアヌスと改名した。
前43年にアントニウスレピドゥスと第2回三頭政治を成立させ、カエサル暗殺者を撃破した。
さらにレピドゥス失脚後、前31年にアントニウスをアクティウムの海戦で破り覇権を握った。
前28年元老院の第一人者(プリンケプス)の称号を受け、さらに前27年アウグストゥスの称号を元老院から得、君主支配を始めた。
その統治は元首政(プリンキパトゥス)と呼ばれるが、名目上は共和政、実質上は帝政であった。
内乱後の秩序の回復に努め、ローマ市の装いを新たにし、属州統治に力を尽くすなど内政の充実を図り「ローマにの平和」の時代をもたらした。



ユスティニアヌス〜 世界史小事典
482頃〜565(在位527〜565) 皇帝ユスティヌス1世の甥。
テオドラと結婚して帝位につき、有能な人材を得て強力な国家の実現を図った。
ニカの反乱を鎮圧して専制権力を確立し、北アフリカ、イタリア、イベリア半島西南部を征服したが、東方国境やドナウ川沿岸地帯では現状維持と防衛的政策をとった。
「ローマ法大全」を編纂し、国庫の増収を図って税制改革を行い、ペルシアを経由しない紅海貿易路を開発し、絹の生産技術を入手した。
帝国を一つの信仰によって統一することを願って神学的論争に関与し、また活発に建築活動を行い、たくさんの聖堂のほかに、築城などの軍事的施設、橋梁、水道橋、貯水池、地下貯水池、道路、倉庫、公共浴場、福祉施設その他の公共的施設などを建設した。



〜テオドラ〜 世界史小事典
497頃〜548 ユスティニアヌス1世の后。
動物使いの子として生まれ、アレクサンドリアやアンティオキアで踊り子をしていたが、見初められて525年に結婚。
ニカの反乱のとき持ち前の気丈さで逃亡寸前の皇帝を阻止、単性論を支持して皇帝にも影響を与え、売春婦の更生にも関心を持った。



ヘレネ(スパルタのヘレナ、トロイのヘレン)〜 世界史小事典
古代ギリシャ人の伝説にいうスパルタ王メレナオスの妃。
人間のうちで最も美しい人とされた。
トロイの王子パリスに略奪されてトロイに住み、トロイの敗北ののちスパルタに連れ戻された。


ソクラテス〜 世界史小事典
前469頃〜前399 ギリシアの哲学者。
アテネに生まれ、そこを生涯、活動の場とした。
著作は一つもないが、問いと答えの対話術によって相手に無知を自覚させ、真の知に至ろうとする奮起を促した。
その「無知への知」へ駆り立てる方法は、独自の皮肉と論理的スタイルを備え、相手に自発的魂の尊さを教えた。
彼の方法は危険な詭弁とも受け取られ、裁判のすえ死刑に処されたが、弟子プラトンの数多くの作品に、その姿が刻まれている。



マリー・アントワネット〜 世界史小事典
1755〜93 フランス王ルイ16世の王妃。マリア・テレジアの末娘。1770年結婚。
首飾り事件など多くの醜聞があるが、浪費癖と無思慮な行動のために人気を失い、国王の権威失墜を招き、また廷臣たちに操られ改革派の失脚に一役買った。
フランス革命開始後、特にヴァレンヌ事件以後はオーストリアとの反革命通謀を疑われ、92年の8/10事件によりタンプルの獄に移された。
裁判ののち93年10月刑死した。



江青〜 世界史小事典
1913?〜91 中国現代の政治家。毛沢東夫人。文化大革命の中心人物の一人。
山東省諸城の人、本名李進。
1933年共産党に入党。ランヒンの芸名のもと、上海演劇界で活躍。37年延安に入り、江青と改名。
38年毛沢東と結婚するが政治活動は禁じられる。文化大革命の際には、いわゆる四人組を結成して、武闘を支持。
とりわけ上海時代の旧知に迫害を加える。
また劉少奇と夫人の王光美をともに激しく批判した。
76年に「批林批孔」運動を展開して周恩来を攻撃し、毛沢東に警戒心を抱かせた。
76年に毛沢東が死ぬと逮捕されて失脚した。
81年の裁判では、自分の行動はすべて毛沢東の指示に従ったものとし無罪を主張したが、死刑判決を受けた。
のち無期懲役減刑されたが自殺した。


文化大革命や大躍進制度など、中国共産党の政策についてはまたの機会に。
手元にある世界史小事典では、ざっと読んでも何のことやらさっぱりなので掲載せず、です。


さて、いつものことながら長々とご紹介文を掲載しましたが、ちょっとこれくらいの知識がないと、この作品が楽しめない。
ソクラテス夫人のクサンチッペは辞典に載ってなかった。
また、小生もよく知りません。


歴史に登場する女性たちは、「歴史的人物」ではなく、「女性」である。
という「視点」で見る楽しさ故に江青がゲストとして出てきている……と、思う。
だから、最後のオチには思わずニヤリです。