三国志8

秦の始皇帝以降、皇帝が直接農民を支配する制度を敷いた。
全ての権力は皇帝のもので、郡県制とも言う。
郡県制とは、地方長官のようなものだが、「太守」「県令」と言い、彼らの直接の上司は皇帝という形だ。


しかし、農村の現場では、大土地所有者が、小作人を雇うというか、面倒をみるというか、官僚ではなくいわゆる豪族が実質の農民を支配していたのである。
これは日本の平安時代でも見られた傾向でもあるが、これにより皇帝から任命派遣された官僚と、豪族が対立する構図となる。
前漢、新の時代では、豪族の勢力を削ぐための政策がいくつか出されたが、そのたびに失敗していた。


後漢を設立した劉秀は豪族の出身であり、また儒教を熱心に学んだ人でもあった。
そこで劉秀は豪族を官僚に組み入れ、皇帝の支配下に置こうと考えた。
その豪族懐柔に儒教を使用する。