三国志9

劉秀こと光武帝は皇帝による直接支配を強化するために儒教と厚く推進した。
光武帝以前の前漢や秦の時代では「法治」と言い、官僚が法律を厳しく適用して豪族を弾圧する形をとっていた。
まさに「法」による統治である。
これでは豪族側からの反発は絶えないわけで、政策としては行き詰まりとなっていた。


そこで光武帝が推進したのは「寛治」と言い、豪族を上手く使役させるシステムであった。
一般農民にかける税を豪族に負担させることにより、儒教の徳目である「清」「廉」と言う名声を手にすることが出来るとしたのである。
そしてどういう仕組みかよく分からないが、この儒教的名声をてにした豪族は官僚への道が開かれるようにされていたのである。

このシステム、農民(小作人)側から見ると、豪族(大土地所有者)が税金を変わりに納めてくれるので、豪族を支持するし、豪族は税金を立て替えることにより名声を手に入れ、さらに官僚への道が開かれ、また皇帝は豪族の反発を押さえ、税金もしっかり徴収できるという、まことに結構なものであった。


教科書的な説明になってしまったが、これで国家が運営されるのだから面白い。
これでは小作人が豪族に搾取されていたかもしれないし、そもそも「清」とか「廉」って誰がどのように評価するのかと思ってしまう。
豪族出身の官僚は大した学もなかっただろうし、相当後ろ指を指されていたのではないだろうか。
ともかく、このようなところが儒教の宗教である所以でもあるわけだが、官僚への道が開かれると言う、利権は大きい。