黄巾の乱3

さて、朝廷も討伐軍を派遣することとなった。
冀州豫州の黄巾軍が主力ということで、この二方面に出動。
冀州方面には盧植を、豫州方面には皇甫嵩朱儁の2将を送り込んだ。
兵力は黄巾軍よりも遥かに少ないとのことで、4万前後と推測されている。
黄巾軍が10万規模なので、半分にも満たない兵力だ。


このとき曹操は騎都尉として豫州方面へ独立部隊として参戦している。
ただし、この方面のみの援軍だったようで、ここが鎮圧されると帰還した模様。
孫堅朱儁の部将として参戦。
劉備は……どうやら雑兵として冀州方面に参戦?どうも名前が見当たらないようです。


まずは豫州方面だが、朱儁部隊と黄巾軍波才の部隊が戦闘。
これに朱儁は敗退してしまう。
これにより皇甫嵩朱儁軍は近くの城にて篭城を余儀なくされる。

緒戦で敗れるとは不甲斐ないものだと思ってしまうが、豫州近辺はなだらかな平原地帯となっているので、特に奇襲などで敗れたわけではないと思う。
正面からのぶつかり合いだったと推測するのだが……。
黄巾軍がただの農民ではないと思う根拠はここなのだが、やはり数の多い方が勝つのだろうか。

しかし、朱儁の部隊が敗走したということで、皇甫嵩が敗れたわけではないようである。
では朱儁の部隊が……多く見積もって兵力2万で10万の波才軍と対峙したとも考えられるので、これではいくら日頃訓練している正規軍でも勝てなかったということだろうか。


しかしこの後は漢の名将皇甫嵩が神懸りの兵法で失地挽回する。
後に「軍を動かせば神の如く、謀は余人に真似ができる所ではない」など賞賛される彼が用いたのは「火計」であった。
三国志演義では劉備がおこなっていた火計のオリジナルは皇甫嵩である。

この奇策を始めとして連戦連勝を積み重ねていき、みるみる豫州方面の平定が成る。
まだまだ戦いは続くのだが、皇甫嵩朱儁ともに用兵は巧みで、黄巾平定の立役者はこの2人で間違いない。
三国志演義にて劉備の引き立て役となっているのには憐れみを感じてしまう。