黄巾の乱5

宛城攻略に当たり朱儁軍は2万、黄巾軍10万という図式となっており、黄巾軍は篭城。
これを攻め落とすのは容易にはいかない。
何しろ自軍の5倍の人数で篭城しているわけだ。

ここで朱儁は補給線を断つことによる長期戦を展開する。
しかしまたしても宦官の陰謀が迫る。
ここで朱儁が功績を立てると後々厄介となるわけで、皇帝に朱儁の更迭を上奏した者がいたらしい。
朱儁はこの事実を知ってか知らずか、短期決戦を挑む。


激しい戦闘の末に宛城攻略を果たすこととなった。
この戦闘には孫堅が参加しており、縦横無尽の活躍をしたようだ。
孫堅黄巾の乱終結の後に朱儁の上奏により大きく出世を果たしている。
ここで宛城篭城戦は終結


変わって董卓罷免後の冀州方面だが、皇甫嵩が派遣されてきたころに天公将軍張角が病死した模様である。
数々の奇蹟を起こし、如何なる病人をも治療せしめた張角も自らを治療させることは出来なかった。
一斉決起から半年後の死であった。
代わって黄巾軍の主力部隊を指揮したのは弟の張宝張梁の両名であった。

こちらの戦線も黄巾軍の圧倒的多数に対して皇甫嵩は寡兵。
しかし皇甫嵩は夜襲、奇襲を駆使することにより黄巾主力部隊を壊滅させる。
張宝張梁を討ち取ることに成功。
同じ頃に苑城もかたがついたようで、無事に黄巾の乱終結と言うこととなった。


漢の上層部の腐敗が引き起こしたと言ってもよい反乱であったが、実質的にはこの乱により漢帝国は崩壊したと言っても良いだろう。
いつの時代にも人材は存在するもので皇甫嵩朱儁は正に漢の英雄ではないかと思うのだが、その後の董卓の専横の最中に二人とも病死する。
この時代、彼らに勝る名声の持ち主はいなかっただろうし、実力は折込済みで、二人がその気になれば後の群雄割拠をも生きぬけただろうと期待してしまう。
あまり野心がなかった感もするので、病死しなくても自ら表舞台には立たなかった可能性もあるが。


兎も角、次は董卓の出現である。