黄巾の乱2

張角は志半ばで病死してしまう。
彼はお札とか聖水などを使用して病気を治したり、数々の奇蹟を起こしたとも言われているが、私はここで一つ思う。
病死でなく、死刑にされていたら、当時の宗教観が見れたかもしれないなと。


そうです、数々の奇蹟と聞けばイエスを思い出してしまう。
私はキリスト教徒ではないので、復活したなどとは考えていない。
しかし、それを信じるからこそキリスト教が始まるわけだし、なによりそう信じたいと思わせる何かをイエスは持っていたということだ。
数々の奇蹟を起こしたかどうかも私は眉唾ものなのだが、死んでいないとか復活したということを信じる人が多かったということは、それだけの影響力があったということで、これを否定することはできない。
なぜなら事実であるから。


エスは神(の子)でした。
日本では張角のような例は無いかと思ったが、見当たらなかった。
さすがは神国日本である。
しかも多神教なもので、不幸な死に方をするとみんな怨霊神となり、災いを起こすのである。
困ったものなので、鎮魂とか祀るとかでなだめることになっている。

しかもそれが政治の一環となっている。
政治の「政」と書いて「まつりごと」と読むのは日本の怨霊信仰から発している。
菅原道真崇徳上皇早良親王長屋王などは天皇家がしっかりと祀らなければならないし、この怨霊が厄災を起こさなければ国家は平和なのである。
だから平安時代の政治は(鎌倉移行は将軍が統治するので)歌ばかり詠んで、実際の政治をしていないと言われているが、実はしっかりと政治を行っていたわけだ。


さて長くなったがもし張角が死刑となっていたら、復活したのか……、それとも怨霊信仰とはならないだろうが、何かしらの信仰が起こったのだろうか。
それとも病死では信仰が起こらないという証明をしてくれているのだろうか。
エスが病気や交通事故で死んでいたら、どうなったのかな……なんて考える私は不純でありますかね。