サロメの乳母の話9 塩野七生
- 作者: 塩野七生
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2003/03/28
- メディア: 文庫
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第9話 「キリストの弟」
〜イエス〜 世界史小事典
キリスト教の始祖。ガリラヤのナザレの出身で、30歳の頃バプテスマのヨハネの洗礼志願者として現れ、受洗後ガリラヤで
「神の国は近づいた。悔い改めて福音せよ」
という新たな宣教を開始した。
彼はモーセ律法を尊重するとともに、取税人、罪人を招き、安息日に病人を癒し、律法学者、パリサイ派と対立した。
彼はペテロ、ヤコブ、ヨハネなどの12弟子を選んで、伝道活動を助けさせ、ユダヤ教の指導者層を批判した。
彼を裏切ったイスカリオテのユダの手引きによってユダヤ人に捕らえられ、ユダヤの評議会で大司祭の審問によって瀆神罪と判決され、さらにローマのユダヤ総督ピラトにみずからメシアと称し、反乱を企てる者として訴えられ、十字架刑に処された。
しかし3日後に彼が復活したとの信仰が弟子たちに生まれ、イエスこそメシアすなわち主キリストであるとの告白にもとづき原始キリスト教が成立した。
イエスに弟がおり、その弟から見た母マリアの苦悩を描いている。
なるほど、言われてみれば、母の立場になると、イエスはかなりの親不孝者になる。
ちなみに「キリスト」とは救世主という意味で、イエスのことをキリストとするわけではない。
ないのだが、イエスをキリストであるとみとめた場合、そのひとはキリスト教徒になるわけです。
歴史的にキリスト教の始祖をさす場合は「イエス」と呼ぶのが正しい。
上記にも登場する「ピラト」だが、
〜ピラト〜 世界史小事典
ローマ領ユダヤの第5代総督。ユダヤ人に圧制をしいたが、イエスの裁判に当たってはその無実を認めながら、ユダヤ人の圧力に屈して十字架刑に定めた。のち失脚、流刑に処された。
とある。
キリスト教徒の立場から見ると、随分善玉なイメージがあるピラトだが、もちろんそれはイエスを救おうとしたためである。
清廉な人柄だからそうしたのか?
もちろん違うだろう。
かれの立場からして、ユダヤ人を治めるのが仕事である。
しかしユダヤ人を上手く治めることができない故に、上記のように「圧制」をしいたと揶揄されるのである。
とは言え、ユダヤ人はローマの法に、大人しく服するのを潔しとしない民族である。
予断だがモーセが十戒を授かりに行ってる間に金の雄牛を作って、それを神として拝んだりする、まことに不敬な者たちでもある。
そんな彼らを上手く政治で操ったのはユリウス・カエサルだが、彼ほどの政治力はなかなか身につくものでもない。
また、ローマは「法」の民であるが故に、無罪のイエスを罰するなど、とんでもないことである。
結局ピラトはユダヤ人をコントロールすることも、イエスを罰することにより「法」を遵守することもできなかったわけで、とどのつまりは政治力のない総督だったということになる。
失脚だけならまだしも、流刑に処されるとはよっぽどだ。
話がかなり横道にそれてしまったが、母から見たイエス、ちょっと意外だが、こんな視点もあり得るなと思う。
楽しめます。