サロメの乳母の話8 塩野七生

サロメの乳母の話 (新潮文庫)

サロメの乳母の話 (新潮文庫)


第8話 「師から見たブルータス」


〜ブルータス〜 世界史小事典
前85〜前42 古代ローマの政治家。カエサル暗殺の首謀者。名門の出。
小カトーの甥。共和政理念の保持者。
始めポンペイウス側についてカエサルと戦ったのち、ゆるされて諸官を歴任した。
カエサル暗殺後は東方に拠ったが、フィリッピの戦いに敗れ自殺した。


ユリウス・カエサル〜 世界史小事典
前100〜前44。古代ローマの将軍、政治家。名門の出。
前69年財務官、前63年大神官(終身)、前62プラエトル就任。
前60年ポンペイウスクラッススと結んで第一回三頭政治を始め、前59年コンスルとして国有地分配法案を提出した。
前58年〜前51年にはガリアを平定し、アルプスの北をローマの版図に入れたため、西欧内陸部がローマ文化圏に繰り入れられた。
前49年ポンペイウスと衝突してこれを倒した。
前46年には10年任期のディクタトルに就任し、前44年これを終身とした。
救貧、植民事業や太陽暦の採用などの諸改革を行ったが、権力を一身に集めたため共和政擁護者のブルータス、カシウスらに暗殺された。
彼の開拓した道を養子オクタヴィアヌスが受け継いで帝政を開いた。
文人としても優れ、「ガリア戦記」「内乱記」の史書を残している。


〜カシウス〜 世界史小事典
ローマ共和政末期の政治家。カエサル暗殺者の一人。
内乱ではポンペイウス側についたが、カエサルに許された。
ブルータスとともにカエサル暗殺の首謀者となったが、フィリッピの戦いに敗れて自殺した。


ポンペイウス〜 世界史小事典
前106〜前48 古代ローマの将軍、政治家。
まず同盟市戦争で父のもとに軍人としての第一歩を踏み出し、のちスッラの支持者として政界に登場した。
ヒスパニアのセルトリウスを討ち、前70年コンスルになり、前67年海賊を討伐した。
前62年までにエジプトを除く東方を平定し、前60年カエサルクラッスス三頭政治を行った。
やがてカエサルと対立して戦い、敗れてエジプトへ逃げ、暗殺された。


この内乱時代は戦いに次ぐ戦いで、歴史を追っていくものを飽きさせない。
その中でも小生はポンペイウスが好きなので、ここで紹介を入れてみました。
本編とはあまり関係ないけど、地中海の海賊をわずか30日で全滅させ、小アジアにまで進出、エルサレムも占領したのはこの人。
最後にエジプトで暗殺されるのには、彼の功績を思えば涙がでます。
暗殺者はカエサル陣営ではなく、プトレマイオス朝エジプトの方々です。
かの有名なクレオパトラがローマの歴史に登場するのはこのすぐあと。


元老院主導の共和政か、若しくは優れたリーダーによるトップダウン方式の帝政か、このイデオロギー対立の通過点に、カエサルの暗殺がある。
遅かれ早かれ帝政への流れは止められなかったと思うが、ブルータス、カシウスともに時代の流れに逆行し、ローマの帝政への移行を遅らせたという評価があるが、まあそれはそのとおりだとしても、小生は暗殺を計画し、実行に移した行動力は評価できると思う。
ただ、暗殺した後のグランドデザインが全くなかったというのはお粗末ではある。


歴史に登場する人物を評価するにあたって注意が必要なのは、我々はその後の歴史を知っているので、判ったつもりで「人」を判断してしまうことだ。
その時代の常識や、宗教観、イデオロギー、また「空気」なども当然ある。
ここを無視して「人」を評価するのはいかがなものかと思う。


例えばこの現代で、北朝鮮が攻めてきたとしよう。
そして、日本は占領され、その100年後、実に平和な国家となっていたとしよう。
攻め込んできた北朝鮮に対し、日本を守るために最後まで抵抗した人の評価はどうなるであろうか?
「時代を見る目がなかったね」
で終わりである。

そうではなく、なぜ最後まで抵抗するのかというと、現代人ならばいくつでも理由は出てくるであろう。
北朝鮮が嫌いだから」「日本が好きだから」「北朝鮮にだけは負けたくないから」など
この心情は人間であれば当然持っているものなのである。
ここを洞察するのが歴史学の基本である。別に年表なんか覚えなくてもいいです。


この話に出てくる「師」がブルータスの内面をよく説明してくれているので、なるほどこういう思想理想を持っているならば……
と、想いを馳せる事ができる。


ちなみにカエサルを暗殺した14人の元老院議員の中に、ブルータスという名は二人いたそうな。
本編主人公のマルクス・ブルータスと、デキムス・ブルータス。
カエサルが「ブルータス、お前もか!」と言ったのはどちらに対してか、塩野氏はデキムスの方ではないかと言われている。