人物辞典 ムスタファ・ケマル

1881〜1938。
トルコ共和国の建設者。
若くして王政打倒の革命運動に参加、第一次大戦後国民党を率いてセーブル条約に反対、ギリシアとの戦争に勝って1923年共和国宣言とともに大統領に就任。
トルコの近代化に努め、1934年議会からアタチュルク(トルコの父)の姓を受けた。


文英堂 世界史小事典 より



1881〜1938。
トルコ共和国の建設者で初代大統領(在任1923〜38)。
サロニカ生まれで、第一次世界大戦には軍司令官として、ダーダネルス海峡や東部国周辺の防衛戦で活躍した。
敗戦後はエルズルムやシヴァスで東方諸州会議を招集して、「国民盟約」をつくりあげ、1920年4月にはアンカラに大国民議会を開設した。
同年8月、スルタン政府がセーブル条約を甘受すると、祖国解放戦争を起こし、ギリシア軍をアナトリアから放逐し、22年11月にはスルタン制を廃止した。
23年7月ローザンヌ条約の締結によって主権回復に成功、11月共和国を宣言した。
以後、大統領として国家再建の改革を進め、24年カリフ制を廃止し、政教分離、文字改革など世俗化政策を断行した。
34年には大国民議会からアタテュルク(トルコ人の父)の称号を贈られた。
38年11月在任中に死去。


山川 世界史小事典 より




軍事司令官としても、政治家としても屈指の指導力を発揮したトルコ共和国建国の父。
イスラムの常識すらも変革させてしまうほどの断固たる意思。
まさに天才と呼ぶに相応しい。